ロシアが侵攻した地域で、老婆に物資を支給している映像を撮るロシア人を、ウクライナの現地の市民が動画撮影してSNSに投稿していました。ロシア兵は老婆に食料品を支給していましたが、その老婆は、解放している様子を演出するためにロシアから連れてきたエキストラでした。SNS動画には現地の市民がブーイングをしている様子が映されていました。
ロシアの国営放送では、そうしたエキストラを使った映像が放映され、ブチャでの惨状は放映されません。ロシア国内の市民が知るロシア語の報道は、現地を圧政から解放するロシア兵の映像です。
これは偽りのリアリティですが、統治のシステムとしてプロパガンダが徹底していると、こうしたことが日常的に実施されます。映像だけでなく、活字の新聞でも同様のことが行われています。
ロシアは、外に対しては帝国主義的に行動し、国内では全体主義的な社会システムを形成しているように見えます。
軍事会社代表は航空機で移動中に事故死し、野党の党首は獄中で病死しました。それがロシア市民に報道される事実です。モスクワで起きたイスラム国のスンニ・ジハーディストの事件は、ウクライナが画策した、それがロシアの一般市民が報道で知る事実です。他に情報ソースがなければ、事実確認はできません。大統領が言うから間違いない。それはロシアの一般的な市民の認識です。ロシアの与党である統一ロシアは国民からの支持が非常に高い。中国共産党と同様、実質的には一党支配です。
外に窓が開いていない国民には、国内のメディアが発信する世界が自分の知る世界になります。
インターネットが普及したことで、国外のサイトを閲覧することができますが、母国語のみ使用する普通の市民には国外のサイトは馴染みがありません。
米国のSNS企業が、ロシア裁判所からカルト指定を受けているのも、統治する側がこうした統制できない発信を排除するためでしょう。
中国の全人代では、香港の言論統制に関する法案に関して、反対投票が0でした。
現在、台湾海峡では台湾を取り囲むように中国が軍事演習を行なっています。台湾の新しい総統の施政方針への反応なのか、武力による恫喝が実施されています。
百度の検索エンジンには、共産党批判記事がリストに上がることはありません、そうした検閲は中国でも徹底されています。検索サービス最大手の米国企業が中国から撤退したのも、そうした検閲や言論の自由に対する姿勢の相違が背景にあります。どのような国家も程度の差はあれ、国内の統制が及ばないメディアを排除する傾向はあります。
直近ではイスラエルがカタールの衛星TVアルジャジーラを排除していました。カタールは伝統的にムスリム同胞団を支援しています。戦時下にあればこうした情報統制に関する措置が取られることはあるでしょう。
日本でも同様の懸念はあります。日本語の世界で閉じられた市民には、日本の報道機関が発する情報が全てになります。これは統治する側の意向によって偽りのリアリティが形成されます。
日本にはたくさんの偽りのリアリティが存在します。
最近まで、金融政策も忖度で成立していました。大規模金融緩和で物価が上昇したと言う主張は、確認バイアスの典型例でしょう。グローバルな物価上昇は、コロナパンデミックのロックダウンからの再開とその直後のロシアのウクライナ侵攻に伴うエネルギー、食料の代替需要の伝播に端を発しています。今回の物価上昇に対する異次元緩和と称されていた大規模金融緩和の影響はありません。(注1)
ECB(欧州中央銀行)のワーキングペーパーにBrian Fabo氏等による”量的緩和の50の陰影”(原題は”Fifty shades of QE:comparing findings of central bankers and academics”)という論文があります。(注2)
これは、主に欧州、英国、米国の金融緩和政策、2007-2008年のサブプライム金融危機の後によく知られるようになった政策、量的緩和の効果について、産出量とインフレーションにおける効果を分析し研究した54の論文について調査したものです。
著者らは、中央銀行のエコノミストによる論文は、学術会のものより、QE(Quantitative Easing:量的緩和)の効果をより肯定的に結論づけていることを発見しています。彼らはまた、見積もったQEの効果とその後のキャリアの結果に非常に強い関連性があることを発見しています。これらのエコノミストは、彼らの雇用主の政策を正当化することへの謝礼として、昇進の恩恵を受けていることがわかっています。
この論文が結論づけているように量的緩和の効果に対しては、国外のケースでも認識バイアスがかかっており、忖度がみられます。あらかじめそうなるように結論づけることに強いインセンティブがあったと考えられます。
こうしたバイアスに起因する統計的な操作や誤った推論に関しては、Alex Edmans氏が最近の著書(注3)で詳細に解説しています。以下はAlex氏の論旨です。
こうしたバイアスの根源に対して、こう質問することができる。
それらの結果を宣言する著者のインセンティブは何だろう?
これらのケースでは、彼らは、そうすることから利益が得られるからである。インセンティブに関しては、バイアスの根源になる。
有名な医療機器のベンチャー企業だったセラノスのケースを考えてみよう。セラノスは、彼らの約束に基づいてUSD9billionの価値を受けている。投資家やアナリストらにより、医学的には何の証明もない約束に、それだけの価値がつけられた。(量的緩和についての)著者は、それが逆の結果を招くのであれば、その論文を出版しただろうか?
May Contains Lies:How stories, statistics and studies exploit our biases - and what we can do about it.
かつて外国為替市場(以下、外為市場)で市場介入を通じて大規模振込詐欺を実施した担当者は、ジャーナリストの詳しい取材に基づいて執筆された金融緩和に関する著書の中で、為替のスペシャリストと記されています。これはロシアの新聞のプラウダが、ロシア語で”真実”を意味しているのと同様に、教養ある大人であれば凍りつく偽りのリアリティの一つです。
2002年5月〜2004年3月に実施された不可解な大規模外為市場介入の真相は、国民の認識とは大きく異なっています。その時のすべての介入資金は、裏金用のFX取引口座で実施していたFX取引の決済資金として投入されています。首謀者は罪に問われる事なく暮らしており、共犯者の多くが巡査です。彼らは常習的に営利目的で、公的予算を私的流用しています。
当時の不可解な外為市場介入は、あたかも経済政策として偽りのまま放置されました。これが深刻である理由は、外為市場を経由した同じ詐欺を画策している人々が、今でも山のように溢れているためです。情報隠蔽は同じ過ちを繰り返すのが常であり、それは大惨事につながるものです。(注4)
外国為替平衡操作という制度自体の廃止も含めて制度設計に関して開かれた議論の対象になるべきでしょう。
ロシア同様、知らなくてよければ、それで幸せという考え方があります。北朝鮮では、先代の国家元首である金正日氏が亡くなった時に、多くの市民が号泣する映像が流されていました。彼らの悲しみは全体主義における信仰の特徴が見られますが、家族に悲しみがあって共感することは、人の自然な姿でしょう。現在の国家元首の実兄は国外の空港ロビーで、ドッキリTVの撮影に偽装された加害者の手で、顔に薬品を塗布され、不慮の死を遂げました。脱北者の生死や真実が国民に知らされることはなさそうです。将軍様が言うから間違いない。それが北朝鮮の一般的な市民の認識でしょう。
幸福の概念も当事者の視点による相対的な概念です。全体主義社会であっても、統治される側は何も知らずに生活することが幸福であるかもしれません。ロシア、北朝鮮、イラン等の社会を統治する仕組みは、欧米的な民主社会とは異なっています。
嘘をもとにした政治は20世紀では目新しいものではなく、特に全体主義体制に支配されていた国では成功を収めていました。都合の悪い事実を隠す必要があれば、嘘をつくことを原則とする方法が取られてきました。この方法の側面はそれがテロによらなければ機能しないということです。政治的な過程が犯罪性に侵食されていくことになります。
何も知らずに生活する市民は幸福かもしれませんが、一方でそれは為政者の暴走に歯止めをかけられないシステムです。90年前の日本もそうでした。
真実が知らされていない集団妄想下にある市民で構成された、対外的には帝国主義的な専制国家があったとします。該当国が周辺国(おそらく国内の市民にも)に悪影響を及ぼしている場合、こうした国家に対峙して、民主主義はこれを是正することができるでしょうか。
こうした国家に対して民主的な国から経済制裁が実施されることがあります。
経済制裁は参加する国が多ければ、効果がある政策です。個別の国の社会の事情を理由にした例外が多ければ、その効果は薄れます。
言論の自由は全体主義からは対立概念になります。
ハンナ・アーレントは”全体主義の起源”(注5)で、1世紀前の複数の国による危機的な状況の上昇を分析し、後に、ありふれた人間による”悪の凡庸さ”について告発しています。”考える事の欠如”がもたらす結果を思い出す必要があるでしょう。
注(2)ー(5)参考資料
- (2) Brian Fabo, Martina Jančoková, Elisabeth Kempf, Ľuboš Pástor, . (2021): ‘Fifty shades of QE: comparing findings of central bankers and academics’, Journal of Monetary Economics 120, 1–20.
- (3) Alex Edmans, “May Contains Lies:How stories, statistics and studies exploit our biases - and what we can do about it.”
- (4) Dmitry Chernov, Didier Sornette,“Man-made Catastrophes and Risk Information Concealment: Case Studies of Major Disasters and Human Fallibility” 邦訳:ドミトリ・チェルノフ、ディディエ・ソネット「大惨事と情報隠蔽」
- (5) Hnnah Arendt, “The origin of totalitarianism” 邦訳:ハンナ・アーレント「全体主義の起源」