市場創造型のイノベーション 書評:The Prosperity Paradox

2024/10/20

ノーベル物理学賞の対象としての機械学習  今年のストックホルムの物理学賞に、機械学習の分野への貢献に対してジョン・ホップフィールド氏と以前グーグルにいたトロントのジェフリー・ヒントン氏が選出された。  ACM、チューリング賞なら自然なのだが、コンピュータサイエンスの分野から物理学賞として選ばれるのは珍しい。ストックホルムの賞は物理学と化学と生理学の3種類しかないので、物理学的な考えがアルゴリズムに導入されているので物理学という枠組みが適用されるのであろう。それだけ機械学習の社会へのインパクトが大きいという ...

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外国為替平衡操作のパラドックス

2024/9/20

 経済や金融の分野で、統計的な手法を使って市場を分析していると、実際の経済現象と一般に認識されている経済状況の間でパラドックスに出会うことがあります。  大規模金融緩和や長期間の金融緩和が経済活動の縮小を招くことや、通貨当局の外国為替市場介入により当局の意図とは逆方向に為替レートが推移することなどは、このサイトでも紹介しています。  ここでは以前、データの因果性を解析するツールの一つとしてcausal-learnや、CausalPyを紹介しました。パラドックスのように映る経済現象を正しく認知する上で因果性 ...

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世界株式市場の混乱:外国為替市場介入による資金供与と相場操縦

2024/8/30

 2024年8月初旬、金融市場を揺るがす株式市場の乱高下が発生し、世界の主要な金融市場で混乱が見られました。東京市場では、8月5日に日経平均株価が12%を超える下落を記録しました。主要な原因と見られる背景が見過ごされているため、本稿でまとめておきます。  これは、端的に言えば犯罪収益によるドル円為替レートの相場操縦がもたらした株式市場の混乱です。 外為市場介入のリスク  前月の7月に財務省がドル売り市場介入を通じて、投機グループに資金を供与しました。建て玉余力を増加させた同グループがドル円の相場操縦を実施 ...

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ヒューリスティックス:マーコヴィッツ・ポートフォリオ理論 対 不確実性

2024/8/22

 合理性の限界について検討を重ねていたハーバート・A・サイモンの時代は、ダニエル・カーネマン氏等の行動ファイナンスは経済学の主要な流れとはなっていませんでした。  サイモンは複雑系経済学の起源の一つとみなせますが、その時は複雑系という用語もありませんでした。 サイモンは人工的な現象(経済現象を含む)は、環境に従順であるという点で”環境依存性”を持っているとみなしていました。  サイモンの仕事を継承するような、現在、複雑系や行動心理学の分野で活動している人々は、不確実な状況での認知や予測に関して新しい知見を ...

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マイナス金利 : ニューケインジアンの視点

2024/8/13

 多くのニューケインジアンのモデルでは、外因によりゼロ金利が想定されることで経済が流動性の罠に陥ることがあります。スウェーデン、デンマーク、スイス、ユーロ圏、日本で、深刻な不況に対応する非伝統的な金融政策として、金利を負の領域に導く政策が取られました。  欧州、米国ではコロナ・パンデミックからの回復と東欧での軍事侵攻を契機にしたグローバルなインフレーションに対応して、政策金利を引き上げました。日本は、最近マイナス金利政策を解除し、現在も量的緩和を継続しています。  量的緩和の効果に対しては、多数の研究報告 ...

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書評:May Contain Lies -嘘を含んでいるかもしれない

2024/7/15

May Contain Lies: How stories, statistics and studies exploit our biases - and what we can do about it. Alex Edmans 嘘を含んでいるかもしれない:どのようにストーリー、統計、調査研究が私たちのバイアスにつけ込むか、私たちがそれについてできること。 嘘を含んでいるかもしれない  著者は、私たちの日々の生活に影響する誤った情報が氾濫している複雑な現代社会において、より賢明に考え、正しい判断を行う上 ...

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現代のプロパガンダと量的緩和の陰影

2024/5/27

 ロシアが侵攻した地域で、老婆に物資を支給している映像を撮るロシア人を、ウクライナの現地の市民が動画撮影してSNSに投稿していました。ロシア兵は老婆に食料品を支給していましたが、その老婆は、解放している様子を演出するためにロシアから連れてきたエキストラでした。SNS動画には現地の市民がブーイングをしている様子が映されていました。  ロシアの国営放送では、そうしたエキストラを使った映像が放映され、ブチャでの惨状は放映されません。ロシア国内の市民が知るロシア語の報道は、現地を圧政から解放するロシア兵の映像です ...

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causal-learnによる因果探索

2024/4/25

 【マネーサプライと物価上昇の因果推論】で、二つの時系列データ間のGranger因果性を調べました。ベクター自己回帰モデル(Vector Auto-Regression:VAR)を適用したものです。他にも、近年、新しい因果推論、因果探索アルゴリズムが提案されています。PythonやR上に実装された因果推論パッケージがAI関連技術に投資している企業や機関からリリースされています。  causalQueries, causalml, causal-learn等、【為替レートと地政学的リスク-割り込まれた時系列 ...

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書評:Statistical Consequences of Fat Tails

2024/3/27

Statistical Consequences of Fat Tails Real World Preasymptotics, Epistemology, and Applications Nassim Nicholas Taleb Statistical Consequences of Fat Tails  タレブ氏の著書は、ビジネス書と一般向けの啓蒙書の印象がありますが、本書は統計の専門書になっています。  この著書は、不確実で複雑な現実社会をどのように生きるかという、著者のIncertoプロジェク ...

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書評:BATTLEGROUND

2024/3/21

BATTLEGROUND Ten conflicts that explain the new Middle East. Christopher Phillips BATTLEGROUND - Ten conflicts that explain the new middle east  本書で示す中東は、14の異なる独立した国と地域からなります。著者は北アフリカのリビア、トルコも中東に拡張(モロッコ、アルジェリア、チェニジア)して論じています。イラン、イスラエル、トルコ、クルド等を除いて、多くの地域はア ...

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ファイナンス

書評:Statistical Consequences of Fat Tails

Statistical Consequences of Fat Tails

Real World Preasymptotics, Epistemology, and Applications

Nassim Nicholas Taleb

Statistical Consequences of Fat Tails

 タレブ氏の著書は、ビジネス書と一般向けの啓蒙書の印象がありますが、本書は統計の専門書になっています。

 この著書は、不確実で複雑な現実社会をどのように生きるかという、著者のIncertoプロジェクト(Antifragile,The black swan, Fooled by Randomness, The Bed of Procrustes, Skin in the Game;2001-2018)(1)~(5)の一環として執筆されています。Incertoプロジェクトの主要な考えは、現実世界の多くの不確実性の中で、不確実な情報から所与の状況でどのような行動を起こせば良いのかを理解することです。本書では、彼が”ブラックスワン”の概念と共に世に広めたファットテイルに関連した統計の性質が解説され、そのファットテイルで示す統計の現実世界における予測と認識論が展開されています。

 現在の金融界が依存するリスク管理の基盤が内包する脆弱性が解説してあります。本書の非技術的概要にリストしているように、成立しない仮定の上で展開される理論の上で成立、管理されているシステムには脆弱性があります、おそらくこの内容の著書(Incertoプロジェクトの一つ)は彼以外からは出ないでしょう。金融工学が切り開いた世界の側面にある仮定の集まりの性質を詳らかにし、統計上の厚いテイルに関する技術的な適用性の問題を再認識させてくれます。

 統計の基礎の章で、"ウィットゲンシュタインの定規”について触れてあります。これはテーブルを測るのに定規を使うか。定規を測るのにテーブルを使うか”という問いのことです。ことは相対的であり、結果によります。ブラックスワンは知識の不完全性の結果です。ブラックスワンが観測者に依存することを示しています。彼の比喩を使えば、”トルコ(Turkey:七面鳥)におけるブラックスワンは、肉屋の主人にとっての白鳥”です。

 非技術的な概要として、彼独特のアフォリズムで、従来の金融の技術体系に対する批判が鋭利に展開されています。いくつか抜粋すると、

  1. "ベータやシャープレシオのような共通の乗り物の金融測度は、情報が不十分である。"
    (実際、すべての経済変数と金融資産は厚いテイルである。4万銘柄の株式を調査しても薄いテイルはひとつもない。これは金融と経済の誤りの主要な根源のひとつ。厚いテイルでも平均ー分散ポートフォリオ理論が働く。)

 この問題は、たとえ分散があっても、許容可能な正確さであるかどうか、私たちにはわからないことです。著者は、実際、共分散行列を使った経済論文は疑わしい、と主張しています。これは4章で詳細が論じられています。

  1. "ロバスト(Robust)な統計はロバストではない。実証的な分布は実証的ではない。"
    (ソビエトの公式な機関紙だった、プラウダ(Pravda)という名前は、まるでジョークのような、ロシア語で”真実”を意味している。)著者は、Robustな統計は、ほとんどの専門家が気づいていない悪ふざけのようなものだと主張します。

 洪水から保護するビルの建設を例にします。実証の分布は過去の最大の洪水のレベル、”過去の最大値”を示しています。

 これは、 ローマの詩人、ルクレティウスによる”物の本質について”の中の誤った識別、”最も高い将来の山は、以前に見た最も高いものに等しい”という考えです。過去に起きた最大の洪水の水準を最大値に設定した場合、それを上回る水準の発生確率はゼロに設定されます。この設定に依拠すると、私たちは永遠にルクレティウスの誤りを繰り返すことになります。

 この実証的な分布について、9章で、イェール大のシラー氏の論文の表紙の写しが添付されています。シラー氏はストックホルムの経済学賞を受賞されており、一般向け著書で、”根拠なき熱狂”という邦訳があります。論文のAbstractには、”過去の履歴データは、1日の株式市場の深刻な暴落の基礎になっている比率(base rate)は、相対的に低いことを示唆している”と記されてあります。

 リスク管理に際し、その水準からどれくらい上の水準が保護できるかを検討する必要があります。厚いテイルにおいては、過去の最大と将来の期待最大の間の差は、薄いテイルよりずっと大きくなります。

 著者らは、調査した結果、学術会で発表される経済論文の多くがこうした成立しない仮定の下で展開されている、と主張しています。

  1. "金融オプションのリスクは動的なヘッジによって緩和されない。"
    これは、非金融界の人々には、興味のない技術的な事項かもしれない。しかし、確率のブラック・ショールズの背後にある金融ヘッジの全体の基礎と動的なヘッジの必要性、その両方に対して、誤った情報に基づいていることが、21-23章で示されます。

 このように、本書はテーマ毎にファットテイルな統計の性質を数学的記述と図表を使って示してあります。11章の”ファットテイル下での確率の調整”、で展開された確率の合成と期待ペイオフ、バイナリ予測(または信用(脚注))と現実世界の連続したペイオフに関する興味深い例が示してありました。「非線形なペイオフの関数下での確率の非分離性」です。

脚注

これは特定の出来事が発生するか、それとも発生しないかのように説明されます。ペイオフはその出来事から数値として利益または損失を得ることです。


 非線形なペイオフ関数g(.)を考えてみましょう。

 ランダム変数Xの変異に対する経済的、あるいは他の量的な反応は、、矛盾(discrepancy)が大きくなり、その合成はより悪化します。

 確率の非分離性の数学的記述は、11.5章に示してあります。離散時間、対象期間の確率は、出来事の発生確率と出来事の平均のペイオフとの積には一致しません。

 言い換えると、出来事の確率は、g(x)がHeiviside セータ関数の時だけ、予測ペイオフになります。セータはデリバティブ商品の残存期間に対する価格反応度です。

 ペイオフ関数の誤解の例として以下の例があります。

 2007年、ウォール街のある投資銀行は、不動産市場が下落する前に、不動産の破綻にヘッジをかける決定をしました。問題は、彼らが、破綻が何度も起こること、さらに悪いことには、そのヘッジポジションは緩やかな下落を仮定すれば利益を得ますが、大きな下落の場合、もっと大きな損失を被ることにに気づけなかったことです。彼らは危機を正しく予測しましたが、"ヘッジ"から$10bilion(100億ドル、1$:100円の場合、1兆円)の損失を被りました。

 以下の図は該当金融機関がその時に保持していたヘッジです。デリバティブトレーダーの業界用語(jargon)では、"クリスマスツリー"というようです。ストライクKのプットを購入し、より低い価格(指標)のストライクK-Δ1とK-Δ2のプットを売却します。Δ2>Δ1>0です。

 11.5章 図 11.5 著書で例示している金融機関のストーリーより引用して略記

 このポジションはストライクK(上の図では100以下)の緩い下落では利益を出しますが、下落幅がk-Δ1(上図、60近辺)、k-Δ2を超えると、Δ1、Δ2を超えた支払い義務が発生し、より大きな損失を負担することになります。

 デリバティブの売りポジションは、投資ポジション生成時には損失額が限定されず、権利行使日に相場が変動していなければ、売りポジション生成時の売却益が利益になります。一方、権利行使日に原資産の価格がストライクKを超えていた場合、下落幅に応じた損失が発生します。

 これとそっくりのCDSのポジションを以前に見たことがあります。2011〜12年の"ロンドンの鯨(London Whale)"(注2)と呼ばれた取引の件です。ペイオフ関数は期間に関して、予測ペイオフと一致しなくなり巨額な含み損を抱えることになりました。

 16章では紛争に関するテイルリスクについて解説してあります。この章では不完全で信頼性の低いデータの処理に注目して、歴史的な紛争の統計的なデータを調査しています。

 人類は20世紀に二つの大戦を経験しました。スティーブン・ピンカー氏は、世界が長期に渡り暴力の減少を経験し、人類の攻撃的な行動の水準の構造的な変化を指摘しています。(6)(7)しかし、データは人類の攻撃的な行動の水準の構造的な変化という考えを示していません。著者らは、紛争のデータは統計的には深刻な過小な見積もりがなされていることを発見しています。本文にデータ分析とともに著者の見解が記されてあります。一読の価値があるでしょう。

  1. "Fooled by Randomness." Nassim Nicolas Taleb (邦訳:まぐれ-投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか)
  2. "The Black Swan." Nassim Nicolas Taleb(邦訳:ブラックスワン-不確実性とリスクの本質)
  3. "The bed of procrustes." Nassim Nicolas Taleb
  4. "Antifragile." Nassim Nicolas Taleb(邦訳:反脆弱性-不確実な世界を生き延びる唯一の考え方)
  5. "Skin in the Game." Nassim Nicolas Taleb(邦訳:身銭をきれ-「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質)
  6. "The better angels of our nature." Steven pinker
  7. "Enlightenment Now." Steven pinker(邦訳:21世紀の啓蒙)

注2:ヘッジポジションのリバランス

 この時のトレーダーのポジションは、満期日の異なる二つのCDSのポートフォリオを生成し、満期日が近い期間のCDSを購入して、満期日が遠い期間のCDSを売却するというものでした。ペイオフ関数は期間に関して、予測ペイオフと一致しなくなります。

  1. 2012年12月に満期を迎える期間5年のIG9を原資産のプロテクションとして購入
  2. 2017年12月に満期を迎える期間10年のIG9を、上のポジションのヘッジ目的でプロテクションを売却

 高いイールドのプロテクションの購入と期間の長いプロテクションの売却でポートフォリオを組んでいます。

 ECBは2011年12月と2012年2月に銀行システムに対して合計で€1tnの流動性供給を実施し、信用不安は後退し国債の利回りは低下して安定しました。

 その後、実際に起きたのは欧州信用不安の再燃です。2012年4月に国債の利回りは再び上昇しました。

 この時は、市場規模に比べて大きなポジションをとったために、CDSの市場における流動性の問題も追加されてペイオフ関数は、予測ペイオフと一致しなくなりました。

 デリバティブはゼロサムです。プロテクションのポジションを取るには、それを受ける取引の相手方が必要になります。相場下落時にポジションのリバランスのために、デリバティブ商品の売りポジションを逆のポジションを新規に取ることで相殺しようとしても、流動性が低下した状況で市場に取引の受け手は見つかりません。大きな相場変動時には保持したポジションのリバランスは容易にはできません。

 タレブ氏が本書の23章で記しているように、もし、誰かがオプションをオプションでヘッジするならば、オプション価格は非常に強く需要と供給に基づく価格形成になります。

 連続時間のデルタヘッジングによる幾何的なブラウン運動の世界に基づくブラック・ショールズ・マートン理論(BSM)とは、非常に対照的である。BSM理論では、オプションの需要と供給は、単純にオプション価格には影響しない。誰かがオプションを購入しようとした場合、マーケットメーカーは、動的なデルタヘッジによって単純に供給することができる。

 これは、危機的な状況を高める(raise):オプショントレーダーはアウト・オブ・マネーオプションの価格によって、稀な出来事の可能性(オッズ)を見積らない。それらは、まさに需要と供給によって反応する。

Statistical Consequences of Fat Tails, 23.6.2 Order Flow and Options

 まさに上述の状況が、大きな相場変動時に発生し、多くのケースで巨額損失が表面化します。

 他にも同時期の2011年に欧州債務危機と関連して、欧州の投資銀行でETFとオプションを使ったデルタヘッジの取引で巨額損失が表面化しています。この欧州債務危機に関連した二つのケースは、アウト・オブ・マネー オプションのポジションが、想定しない稀な出来事の発生でストライク価格を超え、需要と供給の反応によって流動性が急速に低下してヘッジができなったケースです。

 流動性に関係した潜在的なリスクの問題は、さまざまなケースで表面化します。

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